好きな映画『ウォーゲーム』(監督:ジョン・バダム)  

 これまた大好きな映画です。  
 いわゆるB級映画ですが、脚本がよく練られていて、手堅い作りです。  
 パソコンもといマイコン(!)マニアの少年(マシュー・ブロデリック)が、ゲーム会社のコンピュータをハッキングして最新ソフトをこっそり楽しもうとしたところ、間違えてアメリカ軍のコンピュータにアクセス。そうとは知らずにゲームを始めると、NORAD(北米防空宇宙総司令部)ではそれが本物のミサイル攻撃と誤認され、世界はいきなり第三次世界大戦の瀬戸際に……。  

 いや、笑っちゃいけません。
 
なにしろ1983年の映画です。冷戦たけなわです。米軍基地の会議室にはレーガンの肖像写真が飾られてます。モニターの画面はグリーンで、メディアは5インチフロッピーディスク。通信は音響カプラとかを使います。こうやって書いてても、実際に使ったことがないのでイメージがよくわかりません。しかし、今見ても、そんな古臭さを吹き飛ばす魅力がこの映画にはあります。  
 それはNORADそのもの。
 俳優さんたちには悪いですが、この映画の主役は間違いなくNORADのセットなのです。理屈じゃありません。
 わたしは地下深くに作られた秘密基地という奴が大好きなのです。  
 中でも本作のセットは当代随一。巨大スクリーンがズラリと並び、コンソールにはオペレーターがひしめいています。苦虫を噛み潰したような表情の将軍、あたふたと駆け回る技術者、そしてチョイ役の美人オペレーター。  
 もう夢の世界……(# ̄▽ ̄#)。  
 当時、MGMにあった3つのスタジオの壁をブチ抜いて作ったといいますから、気合いが入っています。実際のNORADとはまるで違いますが、とにかくカッコよくてシビレます。  
 その他、ICBMサイロのセットもイカします。  
 入口は山の中の一軒家に擬装されており、交代要員が鏡台の前に立つと、その向こうに監視員がいて秘密のドアを開けるというもの。  
 映画はここで当直の軍人たちが交代するシーンから始まるのですが、エレベーターの中での会話に御注目。うっかりすると意味不明の世間話に聞こえるのですが、実は彼らが話題にしているのはマリファナです。  
 ICBMサイロでの勤務は地味で退屈。しかし、その一方では、いつ発射命令が下されるかわからないという緊張も強いられます。実際、自分の指先が巨大な破壊力と直結しているというプレッシャーに負けてしまい、ドラッグに手を出した軍人が逮捕されたこともあったそうです。映画はそんなネタも脚本に織り込んでいるのですね。  
 監督はジョン・バダム。「サタデーナイト・フィーバー」とか「ブルーサンダー」「ショート・サーキット」などを監督した人です。で、作品をざっと見てみると、ある共通点があることに気づきました。  
 それは「一点豪華主義」。  
 「ディスコのセット(トラボルタの才能と言い換えても良さそうですが)」「実機を改造した本当に飛べるヘリコプター」「シド・ミードがデザインしたロボット」そして「NORADのセット」と、バダムという人は物語の中心となるものに思いっきり金をかけています。重要なのは「すべて実物大」という点。これが画面の説得力に大きく影響しています。  
 映画や小説は大抵そうですが、「ウォーゲーム」だって冷静に考えてみれば「そんなことあるかいな」という話です。でも、徹底的に作り込まれたセットでオペレーターが「ソビエト潜水艦からのミサイル発射を探知!」とかやっちゃったら、見る方もその気になるというものです。   
 その反面、他の部分はわりと地味。高額のギャラをとるスーパースターなんかは使いません。あとは脚本と演出で勝負。芸術家というより職人肌の監督という気がします。    
 さて、こんな風に巨大なオペレーションルームが登場する映画は他にもあります。  
 古いところでは「フェイルセーフ 未知への飛行」。リメイク版じゃありませんよ。この作品、実質的にオペレーションルームと大統領の部屋しか出てきません。セットの広さに惑わされますが、この手の映画には「密室劇」の要素もあるのですね。
 それからマイナーなところでは「地球爆破作戦」なんてのもあります。すべてのアメリカ軍をコントロールする巨大コンピュータが自我に目覚めて反乱。同じ能力を持ったソ連のコンピュータと結託して人類を支配してしまうという映画です。こちらのセットはホワイトハウスの地下という設定で、重厚なインテリアの壁が天井に吸い込まれると隣接するオペレーションルームが現れるという趣向。かつてはテレビ東京の昼とか深夜で見ることができた映画ですが、セットに関しては意外なぐらいにお金がかかっていました。  
 あとは「博士の異常な愛情」なんかも有名。キューブリックはセットを作る際、実物よりも機材を大きめに作らせて、巨大システムに翻弄される人間の矮小さを表現したといいます。  
 今はCGでどんな空間でも生み出せるようになりましたが、なぜか臨場感というものがありません。なんでだろ?