メイド喫茶

 今やすっかり「萌え」がメジャーになってしまいました。なんでもそうですが、ムーヴメントというものは、マスコミが取り上げた瞬間から失速が始まるような気がします。しかし、ビジネスとしてはこれからが稼ぎ時なのでしょう。日本各地にメイド喫茶が続々誕生しているようです。
 わたしも、こんなブームになる前に秋葉原のメイド喫茶に行ったことがあります。恐る恐る覗いたと言った方が正しいでしょうか。
 いや……なんというか、想像通りでガッカリでした。そこで働いている女の子のルックスについてはあえて言及しませんが、やっぱりメイド服がそれっぽくないのです。パッと見ただけでわかるポリエステル生地。蛍光灯の照明だと青っぽく見えるので白けます。やはり、ここは本場のインド綿
生地で作ってほしいものです。
 しかし、一番ガッカリしたのは内装でした。まぁ、今のようなブームを予想していたとも思えませんから、いつでも店をたたんで撤退できるようにしてあったのでしょう。イスもテーブルも什器も安っぽいもので統一され、なんだか高校の文化祭の模擬店のようでした。本当に女子高の模擬店とかだったら別の意味で「萌え」ですが。

 というわけで、本来あるべきメイド喫茶というものを考えてみることにします。

 まず佇まいです。商店街に面しているのはよくないでしょう。できれば静かな公園などに隣接していることが望ましいです。もちろん派手な看板は一切なし。建物の壁面に小さな真鍮製のプレートがあれば充分です。
 ドアは重厚なチーク材。自分で開けてはなりません。まず呼び鈴を押すのです。
 さて、ここで「お帰りなさいませ。ご主人さま〜」などと言われては興ざめというもの。最初に現れるのは、慇懃無礼な執事とおぼしき初老の男性。
 「なんの用だ?」と言わんばかりの視線で、しかし言葉遣いだけは丁寧に「いらっしゃいませ」ときます。あなたはこの段階で、すでに執事の厳格なチェックを受けているのです。
 服装、髪型、靴、顔立ち。すべてが値踏みされ、この瞬間にあなたが座るべき座席が決められてしまうのです。スニーカーにジーンズなどは控えるべきでしょう。
 ようやく店内に案内されるあなたですが、内部は声を出すことすら憚られる雰囲気です。窓にはレースのカーテンが幾重にもかけられ、もの憂い空気が漂っています。ヴィクトリア朝の家具が置かれ、高価なペルシャ絨毯が敷き詰められています。先客たちは紅茶をたしなみ、読書やあるいはチェスに興じる者もいるでしょう。
 ノートパソコンを開いてインターネットだのは間違ってもやるべきではありません。携帯電話も論外です。マンガ? なんですかそれは。新聞や雑誌なら用意されています。ウォールストリート・ジャーナルやロンドンタイムズ。ニューヨーカーやタイムズ、フォーブズなどからご自由にお選びください。もちろん、すべて英語版です。
 こうして席についたあなたは、ようやくメイドからサービスを受けられます。
 遠慮なくオーダーしましょう。ただし、コーラだのソーダ水だのはありません。カレーピラフもスパゲティナポリタンもありません。飲み物なら選りすぐりの紅茶とコーヒーが、食べ物はスコーンやキューカンバーサンドがあります。
 もちろんメイドたちは余計なことはしません。ジャンケンゲームもしません。深々と一礼した後、黙々と職務を遂行します。ちなみにタバコを吸うことは自由ですが、彼女たちは灰皿を交換しません。

 それはインド人の仕事です
 でもって、厨房で働いているのは中国人です
 高圧的な植民地主義と厳格な身分制度に支配された空間こそが、真のメイド喫茶にふさわしいのです。
  ちなみに建物の裏手では黒人少年が汗だくになってコーヒー豆が入った袋をトラックから降ろしているはずです。
 こういうメイド喫茶なら是非行きたいものですが、誰かやってくれませんかねぇ?