その2:戦艦大和の記憶
子供の頃になりますが、戦艦大和の乗組員だったという方とお話しさせていただいたことがあります。戦艦大和とは、もちろん大日本帝国海軍の戦艦です。当時は世界最強と言われていましたが、実際にはほとんど活躍することなく、最後は米軍の攻撃によって撃沈されてしまいました。
ただ、生き残っている方は結構いらっしゃるようです。わたしがお会いした人も、そうした生き残りのひとりだったのでしょうか。
わたしは殊更、戦艦大和に強い思い入れがあるわけではありませんが、それでも興味津々の子供でした。頭の中にあるのは、もちろん「46センチ砲」のことです。
「やっぱり凄いんでしょう?」と、わたしは素直に聞きました。
相手はにっこり笑ってうなずきます。
「そりゃ凄かったさ。駆逐艦を撃った時なんか、船体が持ち上がってスクリューが見えた。次の瞬間、真っ二つに折れてそのまま沈んじまったよ」
すごい! わたしは素直に感動していました。
けれども戦艦大和について少しでも詳しい方だったら、今の話を聞いて「え?」と思われるのではないでしょうか。
何故なら、大和が駆逐艦を撃沈したことはないからです。
一応、このコラムを書くに当たって調べてみました。戦艦大和は1944年10月にアメリカ海軍と最初で最後の砲撃戦を行っています。このとき大和は合計124発におよぶ砲撃を行い、アメリカの護衛空母ガンビア・ベイと駆逐艦ジョンストン他2隻を撃沈しました。ただし、これは他の戦艦との共同による攻撃です。
この駆逐艦ジョンストンを、大和の戦果に含めるかどうかは、資料によってまちまちのようでした。しかし、さっきの話を当てはめると、まるで大和が一撃で葬り去ったかのようです。
いくらなんでも、それはちょっと違うような………。
わたしはからかわれたのでしょうか? その老人はホラ吹き? なにしろ戦艦は巨大ですから、誰もが大和の砲撃を目撃できるポジションにいるわけでもありません。となると、そもそも大和の乗組員というのもウソか?
その方は、親の知人がたまたま一緒に連れてきた方だったので、当時の階級とか配置はもちろん、お名前すらうかがってはいません。こういう話を聞く時は、そういうことをキチンと聞いておかなければならないと知るのは、ずっと後になってからのことでした。
けれども、だまされたと決めつけるのも納得いきません。子供だったとはいえ、悔しいではありませんか。そこで、自分なりに色々な可能性を考えてみました。
1・他の戦艦に乗り込んでいた時、あるいは他の戦艦の砲撃を見た時の記憶が、大和での乗務とごっちゃになっている(そんな風に配置替えがあるのかはわかりませんが)。
2・その人は大和に乗っていたけど、砲撃を直接見たわけではなく、砲術科の連中から話を聞かされた(つまり、この人もかつがれた?)。
3・大和の乗組員たちから自慢話を聞かされた(やはり、かつがれた。そもそも大和に乗務していない?)。
4・記録にない、今のわたしたちの知らない大和の戦闘があった。
5・大和の実弾演習を目撃した。その時の標的艦の様子を話してくれた。
もし4のケースがあれば、わくわくしますね。やりすぎると架空戦記になってしまうでしょうけど。個人的に興味があるのは5のケースです。なにしろ「敵の駆逐艦を撃沈した」とは一言も言っていないわけですから。そう思って、改めて考えると「横腹を無防備にさらしているマグロ状態の駆逐艦を撃った」状況に聞こえなくもありません。
大和が、どのような訓練をしたのかは調べていませんが、46センチ砲で古くなった駆逐艦を砲撃したのでしょうか?
話をしてくださった方は、今も存命中なのかどうか、もはや確かめようがありません。