その1:親指シフト・キーボードについて。

 親指シフト・キーボードは1980年に富士通が発売したワープロ専用機『OASYS』に初めて採用された、日本語を効率的に入力できるキーボードです。
 これは一般的なJISキーボードと違い、一つのキーに二つのひらがなが割り当てられているのが特徴です。このキーをストレートに打つとキーの下の文字が、親指シフト・キーと一緒に打つと上の文字が入力されます。また、左右互い違いに打つと、濁点付きの文字が入力できるように計算されて配置されています。
 一般的なローマ字入力との違いは、日本語を直接入力できるという点です。
 頭の中で日本語をローマ字に変換する必要がありません。また、ピアノの和音のように複数のキーを同時に打鍵することで、トータルの打鍵数を減らすことができます。会議の議事録をリアルタイムで起こしたり、インタビューのテープ起こしなどには、それこそ凄まじい威力を発揮します。
 わたしは、調子のいい時には一分間二〇〇文字ぐらいのスピードで入力できます。
 でも、ローマ字入力では(ずいぶんご無沙汰していますが)、たぶん三分の一以下の速度になるでしょう。だからネット・カフェなどで短いメールをやりとりするだけでも、かなり苦労しています。
 日本語の「を」を入力するには「wo」と打ち込まなければならない、とか。そういうハードウェア優先の特例が、どうにも我慢できないのです。ちなみに津久田重吾の「つ」の文字を入力するには「T」「S」「U」と三文字も打たなければなりません。
 正直に申しまして、これは非常に面倒でございます。 

 じっくり考えながら、一文字一文字を入力するのであれば、ローマ字でも大差はないかもしれません。でも、わたしの場合、そういう状況は希です。キーボードに向かっている時には、すでに書くことが決まっている場合の方が多いからです。
 そういう時は、頭の中の文章を、一秒でも早く画面に写し取ることが要求されている時です。そうなると、頭に浮かんだ日本語を、いったん外国の文字に置き換えるという作業が、どうしても煩雑に感じてしまうのです。
 親指シフト・キーボードでないとダメな所以です。
 実際、JISキーボードの基準になっているアルファベットの配列も、英語入力のことを考慮して配列されているわけではありません。ご存じの方も多いと思いますが、英語のキーボード配列は、タイプライターのアームがこんがらがらないように、わざと打ちにくい配列にしてあるのです。英語の世界でもハードウェア優先のルールで開発されていたのですね。   
 
  残念ながら、親指シフト・キーボードは「日本全国に爆発的に普及している」などとは、口が裂けても言えないマイナーなハードウェアです。
 値段も高く、秋葉原で投げ売りされているノーブランドのJISキーボードに比べると、価格差は十倍どころでは済みません。しかも、わたしはMacintoshユーザーでもあるので、その選択肢はきわめて限られたものです。
 ひねくれ者が勝手に苦労しているだけ、と言われてしまえばそれまでですが、それでも敢えて、著者紹介の文中に親指シフト・キーボードのユーザーであることを明記したのは、この「絶滅危惧種」が絶滅してしまうことを、本当に恐れているからです。  
 皆さんも機会があれば試されてはいかがでしょうか。便利で快適なことに間違いはありません。もっとも、いい文章が書けるかどうかは、それとは別次元のお話なのですが…。