艦これ奮戦記「セブンデイズ・ランカー」



 水平線を夜明けの陽射しが薙ぐ。
 煌めく海面に六つの人影が浮かび上がった。
 いずれも年若い少女の姿をしている。その腕や肩、腰や脚は、可憐な外見に似つかわしくない無骨な兵装で鎧われていた。見る者が見れば、それはかつて日本海軍に所属して激しい戦いに身を投じた軍艦のものだと知れるだろう。
 六人の先頭に立つのは、鮮やかな金髪にベレー帽を乗せた明るい雰囲気の少女だった。やや緑がかった青の制服で肉付きの良い身体を包み、腰の左右に重そうな二〇.三センチ主砲をぶら下げている。
 彫りの深い顔立ちを彩る歓喜の表情が見て取れる距離まで近づいたとき、彼女は片手を高々と天に掲げた。
「ぱぁんぱかぱ〜ん♪ 作戦終了よ♪」
 埠頭に並び彼女たちを出迎える、百人を越す少女達の群れからワッと歓声が上がる。
 その中央、華やかな集団のなかで一人だけ異彩を放つ中年男が安堵に唇を緩めた。
「やったか……」
「しれぇ!」
 ショートカットの小柄な少女が彼の手を引く。
「出迎えてあげてくださいっ! 凱旋ですっ!」
「お、おう……」
 少女の勢いに少しよろけつつ、彼は埠頭の先端に歩を進めた。
 刻まれた階段を下り、波間を滑って近づいてくる六人に目を向ける。
 無事、とは言い難い。
 半分ほどは兵装が著しく破損し、身につけているものもぼろぼろで、くぐり抜けてきた戦いの激烈さを思わせる。
 それでも、どの顔にも晴れやかな達成感が浮かんでいた。
「司令」と呼ばれた男の少し手前で、六人は整列する。
「敬礼!」
 金髪の少女の号令に合わせ、全員が凛々しく礼を取った。
 男も答礼する。
「第一艦隊旗艦、愛宕以下六名、帰還いたしました!」
「あぁ、よくやった。おつかれさん」
 男は歩み寄り、一人々々、順番に手を取って地上へ引き上げた。
「本当に、よくやってくれた。俺はお前達を誇りに思う。誰がなんと言おうと、うちの鎮守府が日本一だ」
 彼の言葉に、少女達は少しくすぐったそうな表情で顔を見合わせた。
「負傷者は速やかに手当を受けてくれ。明石さん、バケツは?」
 振り向く彼に、セーラー服に鉢巻きを締め、スパナを手にした少女がグッと親指を立てる。
「お任せください! ばっちり準備できてます!」
「……だそうだ」
 彼は六人の顔を見回した。
「まずは休憩。それから祝勝会だ」
 はい、と六人の声が揃った。

「深海棲艦」と呼ばれる謎の敵が出現して三年が経つ。
 その正体については今もなお、不明なままだ。
 確かなことは、彼らが人類に対して明確な敵意を抱いていることと、その力が脅威であること。
 そして、彼らに対抗しうる力を持つのは、かつての軍艦の魂を宿す「艦娘(かんむす)」と呼ばれるある種の妖精だけだ。
 謎の組織「カドカワ」と契約を結んだ者は、艦娘を召喚する力を与えられ、それと引き換えに深海棲艦と戦う義務を負う。
 彼らは「提督」と呼ばれ、日夜、深海棲艦との戦いに奔走していた。
 これは着任してまだ間もない提督と、彼を支える艦娘達のささやかな奮闘の顛末である。

「みんな、飲み物は行き渡った? いいわね? それじゃぁ、第二次サーモン海戦の成功を祝して……乾杯!」
 愛宕の音頭で、艦娘達が一斉にグラスを掲げた。
 グラスの触れ合う音、そして拍手と歓声が沸き起こる。
 祝勝会の会場、その中央付近では、提督が大勢の艦娘に囲まれていた。
「いやー、第二次サーモン海戦に参加するって言い出したときは、正気を疑ったぜー」
「そうね。航路固定には軽空母が必要だけど、私も隼鷹もようやくレベル七十を超えたくらいだったもの」
 艶やかな黒髪を揺らしながら、白の上着と赤いスカートの艦娘が切れ長の目を光らせる。口元には笑みを湛えているものの、その眼光には幾分の鋭さが含まれていた。
「ご苦労をおかけしまして」
 提督は首をすくめつつ苦笑で応える。
 確かに作戦開始前、最も懸念されていたのは、装甲が薄く練度も低い軽空母の被害であった。
 しかし、蓋を開けてみれば、軽空母の被害が特に目立つわけではなかった。軽空母が被害を受けなかったということではない。戦艦、正規空母、いずれも万遍なく被害を受けたため、軽空母だけがことさらに打たれ弱さを露呈したわけではないというだけだ。
「まぁ、俺も無理だろうと思ってたんだけどさ」
「なんですって!?」
 柳眉を逆立てる少女に、提督は必死に手を振る。
「お、落ち着け、飛鷹。ほら、東京急行作戦が終わって、次はどうするかって言えば、二択だろ?」
「……中部に進出するか、第二次サーモン海戦に挑むか?」
 そう、と肯んじて提督は苦笑した。
 その意を察して、飛鷹は小さく頷く。
 中部に進出するためには、有力な潜水艦隊が必要とされる。
 しかし、この鎮守府には潜水艦隊の着任が遅れ、伊八が二週間ほど前に到着したばかり。既に着任していた伊一六八、伊五八、伊一九にしても、なんとか改造が済んだ程度であり、水上艦に比べるとやや心許ない状態であった。
 中部へ行くとなると、潜水艦隊を強化しなければならない。だが、この提督はものぐさであり、同じ海域に繰り返し出撃して艦娘を鍛えるのを面倒くさがっていた。
「で、まぁ、自分を納得させようと思ってね。サーモン海域北方に一当てしてみて、けちょんけちょんに負ければ、潜水艦隊を鍛える覚悟も決まるだろ。ところが……」
 提督が目を向けた先には、長い髪を結い上げ、かんざしを挿した長身の美女がいた。
 大和。
 言わずと知れた超弩級戦艦の魂を宿す艦娘であり、その火力は他の追随を許さない。
「あのお姫様が、敵の旗艦を沈めちまったわけだ」
 後から思えばそれはビギナーズラック以外の何物でもなかったのだが、初挑戦で敵の旗艦を沈めたことで提督は「なんだ、意外と大したことないな」と勘違いしてしまったのである。
 それも無理のないことではあった。
 元々、勝てると思っていなかったため、大和と並ぶ大火力艦・武蔵はこの出撃に招集されていない。さらに支援艦隊も派遣されていなかった。
 大和一人で勝てたのだ、武蔵も加えれば勝てないはずがない。支援艦隊まで出せば、万全だろう……。
「そうね」
 飛鷹はため息をつく。
「私も正直、自分さえ足を引っ張らなければどうにかなるだろうと思ったわ」
「あの悪魔、最初は三味線弾いてやがったんだな……」
 渋い顔でこぼす提督の言葉に、周囲から怨嗟の声が上がった。
「エリレ死ね」
「マジでムカつく」
「愉快な顔しやがって」
 サーモン海域北方に出没する深海棲艦、戦艦レ級elite。略してエリレ。
 艦載機による開幕航空戦、続いて開幕雷撃戦、二度の砲撃戦、そして雷撃戦。全ての戦闘行為に顔を出す、のみならずその攻撃力は強力無比。
 この作戦における大破撤退の八割以上がエリレの攻撃によるものであった。
 対策としては旗艦に大和、二番艦に武蔵を据えて「二度目の砲撃は許さない、最悪でも中破以下に追いこんでおく」という態勢を整えた上で、相手の攻撃が当たらないよう「祈る」しかない。
 これまでに遭遇した深海棲艦で最悪最強間違いなしである。北方AL海域の北方棲姫、カレー洋リランカ島沖の港湾棲姫といった強敵も、エリレに比べればかわいいものであった。
 それでも、お祈りの甲斐あって、五回に一回程度は最深部まで到達、敵旗艦の撃沈に成功してきた。
 逆に言えば、エリレさえやり過ごして最深部に到達できれば、作戦の遂行自体はそれほど難しくなかったのである。
「まぁ、でも、これで肩の荷が下りたよ。途中で投げ出すのはイヤだったしね」
「おつかれさま」
 飛鷹は微笑を浮かべてグラスを掲げた。
 グラスが触れ合い、軽やかな音を立てる。
 そこへ弾むような声が飛びこんできた。
「戦果リザルトが上がったよぉ〜ぅ!」
 栗色の髪をリボンとカチューシャで飾り、白の長衣を羽織った少女が、朗らかな笑みと共にVサインを出す。
「どうした? 金剛」
「これを見るネ!」
 金剛が差し出したのは、運営鎮守府が発表している提督達のランキングだった。
「おー! 五百位に入ったかー」
 運営は提督達の戦果を評価し、それに応じて順位を発表する。
 一ヶ月ごとに集計され、五百位以内に入ると報酬として装備が配布されるらしかった。
「この順位を月末まで維持できれば、なんかもらえるんだけどなー」
「無理じゃない? ランキング争いは熾烈を極めるって聞くわよ」
「わかってるけどさ」
 笑いながら提督はランキングに目を落とす。
「……戦果、一千を超えたところか。あとどのくらい稼げばいいのかな」
 一人言めいた呟きに、淡々とした声が応えた。
「泊地によって違いがあるけれど、主力第三群に名を連ねるためには、千六百から千七百程度の戦果が必要とされるそうよ」
 落ち着いた雰囲気を漂わせる少女は、加賀。空母のなかでも最も多数の艦載機を搭載可能で、機動部隊が必要とされる作戦には真っ先に招集がかかる艦娘だ。
「千六百!?」
 提督は目を剥く。
 今回の第二次サーモン海戦完遂で得られた特別戦果が二百。鎮守府近海、南西、西方、北方、各方面の拡張作戦を成功に導いて得られる特別戦果の合計が七百八十であることを考えると、相当に高いハードルに思えた。
「どうやってそんなに稼ぐんだ……?」
「最も広く知られているのは、南方サーモン海域への反復出撃だそうよ。敵の旗艦、輸送ワ級flagshipとの戦闘に勝利することで、一回の出撃で二を超える戦果を得られるらしいわ」
「……それで拡張作戦以外に一千近く稼いでるのか?」
「そうね。毎日平均三十ほどの戦果を挙げれば手の届く数字よ」
「無理だろ、それ……」
 肩を落とす提督の傍らで、いつの間にか歩み寄っていた愛宕が首を傾げる。
「ランキング争いなんて興味ないんじゃなかったの?」
「ん、まぁ、そうなんだけど……」
 なにしろ着任して日が浅い。三年ほど前からしのぎを削っている提督達の競争に割って入るのは簡単なことではないだろう。加えて、やはり提督業を務める知人がかつて一度だけ挑戦し、達成できなかったと聞いている。自分には縁のない世界の争いだと思っていた。
 しかし、第二次サーモン海戦を成功させて、ちょっと色気が出てしまった。
 スタートラインには立てたんじゃないか。
 そう思って調べたら、思ったより遠い数字が出てきて、それがなんだか悔しい。
「あと六百以上かぁ」
「無理ではないわ」
 眉一つ動かさずに加賀は言う。
「十月はまだ一週間以上、残っている。一日で百の戦果を挙げればいい計算よ」
「一日で四十回以上出撃しなきゃいけないんでしょう? それはちょっと大変じゃないかしら」
 苦笑する愛宕に、加賀は小首を傾げた。
「そう? 南方サーモン海域の敵勢力は脅威ではないわ。攻略したときも、中破すら出なかったでしょう」
「それはそうだけど……」
 愛宕が視線を向けると、提督はアゴに手を当てて呟く。
「一日四十回……」
 彼女が覚えたイヤな予感は、すぐに現実のものとなった。
「……一当てしてみるか」
「いや〜ん!」
 愛宕は両手を胸の前で構え、左右に首を振る。
 それは提督の口癖のようなものだ。
 新しい海域への進出が可能になったとき、あるいは期間限定の作戦が展開されたとき。とりあえず一回出撃してみて、その結果を見て今後の方針を決める。
 その際に発せられる言葉が「一当てしてみる」で、まさに今回、第二次サーモン海戦を踏破したのも「一当てしてみた」結果の苦闘だったのだ。
「愛宕。パーティーが終わったら、作戦会議だ。各部隊のリーダーを執務室に集めてくれ」
「んもぅ、やっと第二次サーモン海戦が終わったと思ったのに……」
「頼りにしてるよ」
 ポンと肩を叩かれ、愛宕は苦笑しつつも頷いた。
「私が力になってあげるわ」

 祝勝会の後、提督の執務室に七人の艦娘が集められた。
 赤城、扶桑、五十鈴、雪風、伊一九、明石、そして愛宕。
 特殊なポジションにある明石を除いて、各艦種で最も練度の高い者達である。
 彼女達を前に、提督はこう切り出した。
「次の目標が決まった」
 一同の表情に緊張が走る。
「我々は、柱島泊地主力第三群に叙せられることを目指す」
 愛宕を除く全員がえっと声を上げた。
 代表して赤城が確認する。
「ランキング五百位以内に入るおつもりですか?」
「そうだ。今日から一週間だけ、俺はランカーをやる」
「でも、私達にはまだ、その力はないのでは……?」
 おっとりとした口調で問い返しながら、扶桑が首を傾げた。
「いや。第二次サーモン海戦を成功させたんだ、力が足りないということはない。後は時間との戦いだ」
「作戦は決まってるの?」
 厳しい表情で五十鈴が質す。
 提督は小さく、だがきっぱりと頷いた。
「南方サーモン海域への反復出撃だ。この作戦では、数多くの出撃をこなさなければならない。よって、極力被害を抑える必要がある。理想は全戦、相手に一発も撃たせず勝利を収めることだ。さすがにそれは無理だが、なるべくそれに近い形で戦闘を終わらせたい」
「では、私達の出番ですね」
 赤城の言葉を提督は肯んじる。
「なるべく多くの敵を開幕で沈黙させたい。そのために、航空戦は重要な要素だ。機動部隊は一航戦、二航戦、五航戦でペアを組み、順番に出撃してもらう」
「二隻だけですか?」
「そうだ。航空戦は当たり外れが大きい。砲撃戦での撃破率を上げるために、戦艦を二隻出す。ただ、渦潮による被害を回避しなきゃいけないから、投入するのは高速戦艦だな」
「組み合わせはどうします?」
「練度のバランスを考えて金剛と比叡、榛名と霧島で行こう」
「わかりました。伝えておきます」
 扶桑が頷くのを待って、愛宕が先を促した。
「残りは?」
「航路固定要員として航巡が一隻。これは最上と熊野に交代で務めてもらう。あとは、開幕で敵を減らすための雷巡」
「編成が重すぎないかしら。南方サーモン海域なら戦艦を一隻、重巡と入れ換えても十分だと思うけど」
「単に攻略するだけなら、それでお釣りが来るだろうな。空母だって、軽空母で十分だろう。だけど、さっきも言った通り、今回はなるべくシャットアウトに近い形で勝ちたい。しっかり火力を確保して、安定した周回を目指す」
「わかったわ」
 提督は改めて一同の顔を見回す。
「手順としては、二班で交互に出撃。その後、少し休憩を取る。軽微な損傷については、この休憩時間を利用して明石さんに手当をお願いする。いつものように全快するまで出撃を待ってやるわけには行かない。こき使って悪いが、よろしく頼む」
「沈まない程度でお願いね」
「もちろん。小破以上はバケツだ」
 戦闘部隊代表が頷き合うのを見て、五十鈴が口を開いた。
「私達はいつも通り、後方支援ね?」
「あぁ。なにしろ出撃回数が桁違いだからな。がんがん遠征に出て、資源を稼ぎまくってきてくれ」
「了解」
「他に質問は?」
 その問いに応える者がないのを確かめて、提督は宣言する。
「よし。作戦名、『セブンデイズ・ランカー』、これより開始だ!」

 こうして作戦は始まった。
 事前の予測通り、出撃隊の被る損害はそのほとんどが軽微なもので、南方サーモン海域の旗艦を繰り返し撃沈していく。
 そして、作戦開始から二十四時間が経過した。

「ふーーーーーっ……」
 提督は深々とため息をついて椅子に体重を預ける。
 編成、装備の付け替え、補給、修理。
 自分で決めた作戦だったが、実行してみると思っていたより手間が掛かる。
「これ、一ヶ月続けたら死ねるな……」
 提督の呟きに、既に集まっている六人は揃って苦笑した。
「でも、結果は上々よ」
 そう言って愛宕は手にした報告書の内容を口にする。
「稼いだ戦果は五十二。順位も上がったわ。四百番台半ばよ」
「上がったか……」
 提督は安堵のため息を漏らす。
 艦娘達も、充実感を面に表して頷き合った。
 これまで、順位が上がるのは拡張作戦を完了して特別戦果を得た場合に限られていた。
 通常作戦の遂行によって順位を上げたのは初である。
 一日で百の戦果を稼ぐという当初の目標には及ばないが、成果は上がっており、順調な滑り出しと言えた。
「まぁ、初日だしな。これで要領も掴めたし、もっとペースは上げられるだろ」
「そうね。出撃隊の損傷も、思ったより蓄積していないし」
「明石さん、バケツの消費量は?」
「三十ちょいってとこですね。まだ五百近く残ってるし、問題ありません」
 そうか、と提督が頷いた瞬間、吹っ飛びかねない勢いでドアが開く。
 逆光のなか、目を炯々と光らせて仁王立ちしているのは、五十鈴だった。
「遅くなったわね。ごめんなさい」
 怒気を孕んだ謝罪の言葉に、提督は気圧されつつ頷く。
「お、おぉ……。どうした?」
 五十鈴は肩を怒らせ、ツカツカと執務机に歩み寄ると、手にした書類を叩きつけた。
「これを見て」
「な、なんだ……?」
「資材の状況よ。一日で燃料、弾薬が三千ほど飛んだわ」
「な……!? 遠征隊がひっきりなしに稼いで来てただろ!?」
「そうよ。だから実際に消費した量はもっと多いわね」
 提督は示された資材の数値を何度も確かめた。
「間違いないのか……」
「あるわけないでしょ」
 うーむ、と提督はうめく。
 一番の敵は深海棲艦ではなく、時間や提督の疲労でもない。
 資材だった。
 作戦開始前、各資材の備蓄は二万程度。一日で三千減少したということは、このペースで出撃を続ければ一週間で倉庫はすっからかんになる計算だ。
 五十鈴は腰に手を当て、険しい表情で提督を見下ろす。
「兵站の担当者として進言するわ。直ちに作戦を中止してちょうだい」

 執務室には、提督と愛宕だけが残った。
「まいったな……」
 五十鈴が残していった書類を手に、提督は髪をかき回す。
 出撃隊の被害は想定の範囲内、これならランク入りという目標も達成できるかもしれないと希望を抱いた矢先に突きつけられた現実だった。
「……どうするの?」
「うーん……」
 諦めるのは簡単だ。
 作戦を中止して適当にデイリー、ウィークリーの任務をこなし、資材を貯めて大型建造をやっていれば、楽しい鎮守府運営の日々に戻れるだろう。
 しかし、提督の心を占めているのは、「もうこんな機会は訪れないかもしれない」という切羽詰まった思いだった。
 第二次サーモン海戦への挑戦は過酷を極めた。もう一度やれと言われてもやれる気がしない。
 加えて、ランキング争いをするには、ある程度の時間が必要だ。今回はたまたま時間が取れそうだから挑戦を決意したが、今後また同様の状況が訪れるとは限らない。
 とはいえ、資材を使い果たしてしまえば、その後の艦隊運営に影響が出るのは避けられない。資材の備蓄を回復するには、相応の時間が必要とされるだろう。
「どうしようかなぁ……」
「編成を見直してみたら? 戦艦を一隻外して代わりに重巡を入れるとか、ドラム缶運搬を軽巡にするとか」
「焼け石に水だろうなぁ。それほど劇的な改善は見こめないだろうし、消費資材を抑えることはできるかもしれないけど、それで被害が増えてしまえば修理のためのコストがかさむことになる。燃料・弾薬は足りても、バケツが足りないという状況に陥りそうだ」
「じゃぁ、もっと稼ぐとか」
「どうやって? 遠征は今でも限界まで回してるぞ」
「潜水艦隊にオリョールで資材を拾ってきてもらうのはどう?」
「……!」
 潜水艦でオリョール海へ出撃し、資源を回収する。通称「オリョクル」と呼ばれる作戦は広く知られていた。
 しかし、それは実際のところ「消費資源を抑えて任務を消化できる」程度の性質のもので、大きく資源を増やす目的に向いているわけではない。まして、一日三千を超える消費を賄おうとするのは非現実的だ。
 だが、それが大きなヒントになった。
 提督は急いで引き出しを開け、南方サーモン海域の海図を取り出す。
「それだ……!」
「え、なぁに?」
 海図をのぞきこむ愛宕に、提督は海図の北部を指さした。
「南方サーモン海域へ出撃する際、水上艦ではこう、北回り航路を取るのが常道だ」
「そうね。南の狭い海峡を抜けるのは危険だわ」
「だが、潜水艦ならどうだ?」
「あ……!」
 提督の指先が、海図の南部をなぞる。
「こう、こっちから抜けていく分には、潜水艦でも十分だ。いや、むしろ潜水艦で踏破するためのルートと言ってもいい」
「そうね。それに、潜水艦は水上艦に比べて、運用のためのコストが圧倒的に低いわ」
「そうだ。二回セットで行う出撃を、水上艦と潜水艦で分担する形にすれば、消費資材は劇的に減る……!」
 でも、と愛宕は眉を曇らせた。
「できるかしら。うちの潜水艦隊は、まるゆを含めても五隻しかいないわ。はっちゃんは改造も済んでないのよ」
「できるかどうか、やってみよう」
 提督はにやりと笑い、愛宕は彼の口癖を思い出して微笑する。
「一当て、してみましょうか」

 提督は埠頭の先に立ち、腕組みをしたままじっと海面を見つめていた。
「……そろそろのはずだが……」
「そうね」
 頷いた愛宕が、海面を指さす。
「あっ、見て。あそこ」
「戻ったか……!」
 浮かび上がってきた五人の少女が、水面に顔を出した。
 ぷはーっと息をつき、提督の姿に気づいて手を振る。
「てーとくっ。艦隊帰投、なのね」
「どうだった!?」
「輸送艦には逃げられちゃったけど、お供の軽空母を二隻と軽巡を一隻、やっつけたの」
「こちらの被害は?」
「はっちゃんとごーやが、ちょーっとケガしたの。でも、かすり傷程度なの」
「そうか……! よくやった!」
 提督と愛宕は顔を見合わせ、力強く頷き合った。

 作戦開始から四十八時間後。
 再び、執務室に七人の艦娘が集まっていた。
「まずは資材の状況から聞こうか。五十鈴、どうだ?」
「燃料、弾薬とも五百……は減ってないわね」
 全員の面上に安堵が流れる。
 このペースなら、作戦終了後、鎮守府の運営に影響を及ぼすほどではない。
「明石さん、バケツは?」
「こっちはちょっと減ってますね。五十ちょい使ってます」
「だろうね」
 初戦こそ損傷軽微で戻ってきた潜水艦隊だったが、練度が十分と言い難いことはわかっていた。案の定、その後の出撃では大破撤退を余儀なくされることもしばしばで、敵旗艦との戦いにたどり着いたものの勝利をもぎ取るに至らない場合もあった。総じて、水上艦に比べてその戦いぶりは不安定なものであった。
 しかし、消費する燃料と弾薬、そして修理にかかる時間とコスト、そのいずれもが水上艦の数分の一に抑えられ、費用対効果の面では水上艦を圧倒的に上回る結果を残したとさえ言える。
「愛宕。戦果は?」
「うふふ、それじゃ発表するわね。獲得した戦果は……九十三」
「九十三!?」
 赤城が、扶桑が、驚きに目を丸くした。
「順位も三百番台に突入したわ。この調子なら、目標達成は十分可能よ」
 提督は小さく頷き、五十鈴に目を向ける。
「作戦を続行する。……いいな?」
「バカね」
 五十鈴はひょいと肩をすくめた。
「私が中止を進言したのは、消費資材があまりにも膨大だったからよ。このくらいなら文句は言わないわ」
 ただし、と五十鈴は目を光らせる。
「来月も同じことをやるって言い出したら、こっちにも考えがあるわよ」
「言わないって」
 提督は苦笑しつつ、ひらひらと手を振った。
「こんなしんどいのは一度でたくさんだ」
 愛宕が言葉を添える。
「それに、来月は期間限定の特殊作戦が予定されているわ。そちらに力を注ぐことになるはずよ」
「……ちょっと待って」
 五十鈴は頬を強張らせた。
「期間限定って……。もしかして、また連合艦隊を編成したりするの?」
「その可能性は高いでしょうね」
「あれやられると、一回の出撃で四桁の資材が飛ぶんだけど」
「この作戦が終わったら、可能な範囲で備蓄を増やしてくれ」
「頭が痛くなってきたわ……」
 こめかみを押さえる五十鈴に、皆は揃って苦笑した。

 そして、嵐のような一週間が過ぎる。

 執務室のドアを開けて、愛宕が入ってきた。
 提督はぐったりと椅子にもたれかかっている。
 気力、体力の消耗は限界に近づいていた。
 しかし、それももう終わる。
「艦隊、帰投しました」
「おう。……タイムアップだな」
「そうね。今から出撃しても、戦果は算入されないはずよ」
「……目標、達成できたと思う?」
「だいじょうぶじゃないかしら。午後のお手紙では、百番台半ばだったし」
「これでダメだったらシャレにならんなぁ……」
「心配しすぎよ。むしろ、ちょっとやりすぎたかもしれないわ」
「……まぁね」
 加賀はボーダーを「戦果、千六百から千七百」と言ったが、それは他の一般的な泊地の話であり、新任の提督も多い柱島ではもう少し低いラインになるらしい。
「結果がわかるのは少し先になるけど……。おつかれさま。作戦終了ね」
「あぁ、おつかれ。苦労かけたな」
「うぅん、私は全然。それより、出撃隊と遠征隊のみんなを労ってあげて」
「わかってる。みんな本当に頑張ってくれたもんな」
「提督も。……風邪は、もういいの?」
「あぁ。元々、そんなひどくもなかったし」
「作戦も終わったんだから、少しゆっくり休むといいわ」
「そうするよ」
 頷くと、提督はさりげなさを装って机の引き出しを開けた。
 そこには以前達成した任務の報酬として支給された、指輪が入っている。
「……愛宕」
「なぁに?」
「これ……受け取ってもらえないか」
 愛宕は大きな目を見張って提督の差し出す指輪を見つめた。
 そして、小さく噴き出す。
「やぁだ、提督ったら」
「な、なんだよ。笑うことはないだろ。愛宕はうちのエースなんだし、作戦終了で区切りもついたところでと思って……」
 提督の抗議に、愛宕は笑顔で首を振った。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、その指輪を受け取るには、レベル九十九にならないといけないの」
「……は? え? ……マジで?」
「マジで」
 提督は脱力と照れ隠しで机に突っ伏す。
「なんだ、そうなのか……。一つしかないものだし、この機会にと思ってたのに……」
「今は気持ちだけ受け取っておくわ」
「わかった。じゃぁ、そのときが来たら、また改めて」
「えぇ。楽しみにしてるわ」
 そう言って愛宕はいたずらっぽい笑顔で片目をつむった。
「参考までに、レベル九八から九九になるためには、レベル一の艦娘がレベル五十五になるのと同じくらいの経験値が必要だそうよ」
「……まだまだ先は長そうだ」
「そうね」
「……でも……」
「でも?」
「ん、いや」
 提督は一つ首を振って、心のなかで呟いた。
 まだまだ、この娘と一緒に遊べるんだな……。

《終》



夏に始めた「艦これ」も、現在実装されている最高難度のマップ5-5をクリアして、自分のなかで一区切りつきました。
その記念(?)に、一度だけランカー報酬を狙ってみようかと思い立ったわけです。
…が、一日の平均戦果百を目標ってのは、ちょっと無茶でした。(^^;
「艦これのやり過ぎで過労死」ってニュースを聞いても驚かないと思います。(笑)
幸い、報酬は無事にもらえたので、その顛末をまとめてみました。
単にプレイ日記にするのでは登場人物が私だけで潤いに欠けるのでSS仕立てにしてみましたが、いかがでしょうか。
それにしても、二次創作なんて何年ぶりだろう。(笑)

ちなみに、5-5を初めて突破したとき「もう一度クリアできるかわからない」と思ったのは本当ですが、翌月にはあっさり再攻略しちゃいました。
それも、レベルが上がったせいか、かなり楽に。
「ランキング入りを目指す機会はもう二度とないかもしれない」と思ったのも本当ですが、もしかしたら十一月のランカー報酬ももらえてしまうかも…?
特に戦果稼ぎはしなかったんですが、秋イベントの関係で、周囲の伸びが鈍かったんですよね。
これで500位に入れたら、ゴホゴホ咳をしながら5-4を必死に回してた、あの苦労はなんだったんだということになりそうです。(^^;

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